世界が教えてくれたこと/BLOG

3月11日に思い出す、はるか遠く海の向こうから届く愛。

あの日からもう、だいぶ長い時間が経ちました。
あの時を境に、日本中が本当に大きく変わっていったね。
時間が、とてもとても尊いものになって。より自分がどう生きるのか?って、
いっそう、コミットするようになったなあと思っています。

私は毎年、3月11日になると、思い出すことがあります。

震災の翌年なんですが、わたしが中東を旅したときのことです。
ヨルダン・イスラエル・パレスチナ自治区をまわっていたのですが、
その時に、衝撃的な光景を目の当たりにしたんですね。

パレスチナ自治区にある、ベツレヘムから
ガザ地区のとなりのまちまで、移動している車のなか。
何も変わらない、退屈なベージュ色と茶色の景色をぼーっと眺めていたら、
遠くの空に、UFOみたいな物体が、いくつか点々と浮遊してたんです。

それを見つけて、ここまで連れてきてくれた現地のドライバーが、車を路肩に止め、
後部座席を振り返り、
私に向かって「車から降りろ」と、私にジェスチャーをしてきた。

一体なんだろう?!とおもって、車から降りて、空に目を凝らしてみると、
浮かんでいるそれは、“凧(たこ)”だった。

私をみて、ドライバーは、しきりに「あやばん!」「まりす!」と、
この二つの言葉をくりかえしてきた。
でも、アラビア語がわからないので、何言ってるのかよくわからなくて、
私は、ただなんとなく、ヘラッと笑ってるだけだった。

そうして見上げた空、わたしの目に飛び込んできたのは、凧の色。
それは、白い生地に、まんなかに赤い丸が書いてあるものだった。

ほんとうに、驚いた。
ここで、やっと私は理解したの。

「あやばん」が日本であること。
「まりす」が、3月だってこと。

いつくるかわからない、空爆におびえているガザ地区とそのまわりに住んでいる人々や子供たちが、
被災した日本に、祈りを飛ばすために、凧揚げの練習をしていた。
ちょうどその頃といえば、パレスチナへの攻撃が激化するかしないか?と、戦々恐々のとき。

・・・にもかかわらず、

海の向こうの、はるかむこうにある日本を思い、祈りを送ってくれていたパレスチナのひとたち。
明日死ぬかわからない、そんな運命にある自分たちのことより、日本のやすらぎを祈ってくれていた。

涙が、どばっとあふれた。
鳥肌が立って、
青い空と凧がにじんで、見えなくなった。

わたしはそれまで情けないことに、テレビの情報でしかこの国のことを知らなくて。
まるで対岸の火事のように、テレビ画面をみていた。
それだけで世界を判断していた、無知な自分をものすごく恥じた。

ふきつける冷たい風と、強い日差しのなか、もっと高いところで、この凧を見たい!
この光景を目に焼き付けたい!って、かわいた瓦礫のなか、砂埃をたてながら、
わたしは走ってのぼっていって、青空にうかんでいる凧を、ずっとずっとずっと眺めてた。

パレスチナの2月は、とても寒い。

国境を隔てている、無機質につくられた冷たい壁。
壁はいらないと叫びながら、愛をうたっている落書き。
その脇に咲いている、桜とそっくりに咲くアーモンドの花。
そして青空には、フワフワたなびく凧があがっている。
その凧には、わたしの国へ祈りがのせられて。
いちばん平和と安心をあげたい国から、愛を送られる。

それを、おおくの日本のひとたちは知らない。

心の中が、まるでわけわからなくなって、涙はとまらないままだった。
毎年、この日がくると、私はこの出来事を思い出すのです。

すべてのひとが大安心で、これからもずっとずっと、
自分の幸せないのちを、まっとうすることができますように。

6年前の今日に、愛と祈りをこめて。

                       立川智子(NAYURA)

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